アダルト・チルドレンな話

アダルトチルドレンな話 about non

離婚して、ネットサーフィンをしていたら「AC」という略語をみかけて調べました。読んだら私のことでした。最近は死語のようですね。ご存じない方は→コチラ

先日、友達が泊まりにきていて楽しく過ごしていた際に、子供時代の話になり、私も子供の時の話として、この話をしました。

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だいじなランドセル

「物は大切にしなさい」

そう言われていたからか、そもそもの自分の性格か、私はとても物を大切にする子供でした。

1年生で買ってもらったランドセルには黄色い交通安全のカバーを2年生になってもかけ続け、その下はピカピカのまま。

2歳下の妹がもうすぐ小学校にあがるというある日、母が私にこう言いました。

「そのランドセルを〇〇ちゃんにあげて、あなたは〇〇お姉ちゃんのお下がりを貰ったからそれを使って」

〇〇お姉ちゃんは国立の小学校でした。金色で学校の校章がついている黒いランドセルだといいます。

「校章は削ってしまえば大丈夫だから」

笑顔で母が話しかけてきます。

大切な大切な私の赤いランドセル。そろそろ黄色いカバーを取って2年生らしくしようと思っていた矢先でした。

大事に使っていたことが、逆に悲劇を招いたことに気づきました。

(大切に使いなさいって言われたから言う通りにしていたのに!!)

心の中で叫んでいました。声に出したら鬼のように怒られるので言えません。

「いやだ。」

勇気をふりしぼって言ってみました。

(〇〇お姉ちゃんのランドセルを妹に使わせればいいじゃない!)と心の中で思ったけれど、それは小学生の私でもかわいそうなことだと理解できるので言えませんでした。

(なんでランドセル買えないの?多少贅沢しているのだからお金はあるはずなのに・・)

母は使えるランドセルがあるのにもったいないとか、色々と理屈を並べて説得してきたのですが、私がうんと言わないので「じゃあ勝手にしなさい!」と捨て台詞をはいていなくなりました。

いつもそうやって突き放され、泣いて私が折れるのを待つのが母の常套手段でした。

母に見捨てられたくない、このまま我を通していたらずっと怒られたままだ。

結局、いつも通り言うことを聞き、大切に使った新品同様のランドセルを妹に渡すことにしました。

あわれみのまなざし

そして、おさがりのランドセルは思っていたよりもぺちゃんこでボロボロでした。

集団登校をしていたので、朝みんなのところに行くと「どうしたの?」と聞かれました。泣かないように必至に笑顔を作っていたのを覚えています。

黒いランドセルを背負っている女子は一人もおらず、クラスの子に何か言われると思ってびくびくしてクラスに入りました。

クラス替えがあったので、前から同じクラスだった、いつもからかってくる男子が「どうしたの?」と予想に反して少し心配そうな顔で聞いてきました。

「妹にランドセルあげたの」

そう説明すると

「そうなんだ・・」

と返ってきただけでした。(からかわれずに助かった)と思ったと同時に、同情されているのかと思うと、逆にそれが恥ずかしくなりました。

恐くて聞けない

当時の我が家が金銭的に困っていたわけではないことは、子供でもわかっていました。

母は色々な趣味を始めてはすぐに飽きて別の趣味を始めていたし、私は習い事もいくつも通っている状態でした。

「うちは、他の家よりエンゲル係数が高のよ」

そう言いながら万世のステーキを出していたような家なのです。

ランドセルが買えないわけではないはず。その事実が私を苦しめました。

自分の趣味などに回すお金のために、ランドセル代をケチっただけだろうと予測して、私の気持ちを無視した事実に傷つきました。

大人になってから(父が何か言ってくれても良かったのに)と父の無関心にも腹が立ちました。

第三者からみて

この話した時、親友たちに「お母さん、何か深い事情があったんじゃない?お母さんに理由を聞いたことあるの?」と言われました。

友達がそんな過去を持っていたら、私も同じことを聞いたかもしれません。

理由は聞いていない、予測だけしていたと答えましたが、理由を聞かなかったワケについては言えませんでした。

でも、今回友達に話したことで、兄弟姉妹の多い家族で育った母にはお下がりなんて当然のことという認識だったのかもしれないな、という今まで思ってもみなかった理由候補が浮かびました。

理由が聞けないわけ

でも待てよ・・、確か母はこうも言ったな。

「じゃあ赤いランドセル買ってあげようか?」

黒いランドセルになって1年ほど経過したころ、下校途中で知らない男子から石を投げられて逃げ帰ってきた私に母が言った言葉です。

女のくせに黒のランドセルを背負っているというだけで、石を投げられたと説明した私に、眉をしかめてそう言ったのです。

怒りと悲しみと少しの安堵がごちゃまぜになった気分でした。

(なにをいまさら・・)本当はそう言いたかった。でもそんな生意気なことを言ったら大変なことになるので

「べつにもう買ってくれなくていい」

物じゃないんだよ。私の気持ちを察してほしかっただけなんだよ、お母さん。

バーチャル・シミュレーション

完璧な家庭なんてないし、親の言動で傷ついたことのない人はいないでしょう。

子供は皆親に愛されたいし、兄弟姉妹と比べて親の愛情を疑ったりもするでしょう。

私の場合、性格的に母親と合わないようで、怒られるのはいつも私。

妹は要領がよく、あまり怒られるようなことをしません。

ある日妹に

「お姉ちゃんバカなんだもん。そんなことしたら怒られるにきまってるじゃん」

そう言われて(そうか、怒られて当然のことを私はしているんだな)と少し安心したことがありました。嫌われている訳ではないと思いたかったのです。

ただ、妹が悪いことをしても、一緒に居た私が止めなかったということで私が怒られていました。

今思えば、親の言い分もわからないでもないのですが、当時は理不尽なことばかりに心の中で腹を立てていました。

折檻では1メートルほどある竹の物差しで太ももを打たれて、ミミズ腫れになりました。今だったら、私は児童相談所に保護されたていたかもしれません。

でも、どんなことで怒られていたのか思い出そうとしても、思い出せません。

直接は恐くて文句が言えないので、次第に母への仕返しを空想するようになりました。

そして、自分が死ぬことが一番の仕返しではないかと思うようになりました。

当時マンションのかなり高いところに住んでいたので、下を眺めては自分が落ちていき、死んだ後に母が泣いたり、父に責められたりするところを想像していました。

空想で母を泣かせ、私の死の責任を取らせることでバーチャルに復讐をしていました。

怒られてベランダに出され、鍵を閉められると(仕返しに飛び降りちゃおうかな)と良く思ったものです。

ただそこで、(なんであんな母親のために自分の命を犠牲にしなくちゃならないんだ!!)と思い直せた為、今も私は生きています。

アダルト・チルドレン

離婚して実家に戻ったことで、また両親と同居するようになり当時の恨みがふつふつと沸いてきてしまい、苦しみました。

その時、ネットでACという言葉を見かけ、調べたら自分のことでした。

「毒親」とインターネットで検索して、母親と重ねたりしていたのですが、ある日、我慢できなくなって昔の恨み言を並べて母を責めました。

当時の記憶を母は都合の良いように書き換えており、話が通じなかったけれども、私に責められて泣きました。

それを聞いていた妹から、今更言ったところで過去は変えられないし、年老いた母にそれを言うのはかわいそうだと言われました。

でも、私は過去に決着をつけたかった。私を傷つけたことを母に謝って欲しかったんです。

結局母は泣いただけで、謝ったりはしませんでした。でも、離婚して行き場のない私を責めることもなく家に置いてくれました。

その後数年かけて、私はだんだんと昔のことを気にしなくなりました。

年を取って、父も亡くなったことで母は私を頼るようになり、かつての関係ではなくなったのです。

こんな日がくるとは、正直思っていませんでした。

離婚して子供と離れたことは辛かったけれども、母との遺恨が薄らいだのは、実家に帰ったからだと思います。

反面教師

自分が親になっても、子供を抱きしめることがなかなかできませんでした。

自分がされた記憶がないのと、何故か恥ずかしくて出来ないのです。

おまけに、そうされる子供に嫉妬すら覚えるのです。

自分がしてほしかったなら自分の子供にはすればいいのに、なんて自分は冷たい人間なのかと嫌になりました。

それでも無邪気に笑ってくれる子供がかわいかった。子供達には落ち込んだ気持ちを何度も救われました。

自分が子供の頃思っていたことを鮮明に覚えているため、子供の気持ちはとてもよくわかりました。

自分が嫌だと思っていたことは、しないよう気を付けました。

理不尽なことはしない。

親に無理に従わせるのではなく、きちんと話し合う。

親の意見を押し付けるのではなく、子供の気持ちを聞く。

母を反面教師にして子育てしていました。でも、子供たちが大きくなってきて、家に一人の時間が増えてくると、誰かに必要としてもらいたくて、ゲームの世界から抜け出せなくなりました。

結果的に、自分の母よりひどい母になってしまったと思いました。

愛されていると自覚することは強さを貰うこと

少し前までゲームは細々と続けていたのですが、やめられたのは心の安定のおかけだと思います。

誰かに気にかけて貰っている、味方になってくれている、ということはそれだけで強さを貰っています。

子供達には母親に愛されてないと思って欲しくなかったので、月に1度会う時には話を聞き、共感できることを増やしています。

私が家を出ることになり、捨てられたと思ったことでしょう。

自分よりもっともっと辛い目にあわせてしまいました。

私がうまくやれなかったように、子供達が大人になった時に心の傷を引きずってしまうのではないかと心配です。

家を出る時に謝ったけれど、子供達は覚えていないかもしれない。

私はちゃんと子供たちに謝らなければならない、と思っていますがいきなり謝ったら多分2人は辛かった時のことを思い出して泣いてしまうでしょう。

家庭はうまくいかなかったけれど、ずっと愛していることを、わかってもらえるように一生かけて伝えます。

きっと同じような方は沢山いると思います。むしろ、そんな経験がない人なんていないでしょう。

そんなの誰でもそう、甘えていると言われるかもしれません。

でも、アダルトチルドレンだと認めることで自分を肯定できるようになるのなら、認めてしまえばいいと思います。

私の場合は、今まで言えなかった自分の気持ちを吐き出したこと、大人になってからもう一度母と暮らし、関係性が変わったことで子供時代に足りていなかった部分を補えました。

今の私は、母に肯定されていることを感じることができます。なにかと毒づいていた母も、最近はひどいことを言わなくなりました。

母のことを大切に思っているのが伝わっているんだと思います。

お互いに穏やかになれて良かったなと、本当に思います。

昔のことを思い出すと、まだ涙は出てきちゃいます。でも、頼まれると断れなかったことが、最近は断ることが出来るようになりました。もう町内会も怖くありません(笑)

言葉で気持ちを整理したくて、この記事を書きました。そんな独り言を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

世界の親子が皆、幸せになりますように♡

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